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2013年10月29日

スズメとアカゲラの姉妹

民話を調べている地元の秋名小学校の園田校長先生が「スズメとアカゲラ」という民話を「学校だより」に掲載していたのでそのままご紹介します。

「スズメとアカゲラ」
奄美大島ではキツツキのことを「アカゲラ」とよんでいます。その中でも「オーストンオオアカゲラ」は奄美大島にしか棲んでいない珍しいキツツキなのです。
さて、奄美大島本島の北部にある龍郷町の秋名という集落には、奄美大島で唯一、広い広い水田地帯があります。今ではあちこちに稲作体験に取り組んでいる学校を見かけますが、実は昔から稲作が出来る場所は、この秋名集落と瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍にしかなかったのです。とりわけ秋名集落は周りにシイやイジュ、カジュマルやアコウの木などの広葉樹が茂っている山合にあり、わき水が豊富であることから米作りに適していたのです。その証拠に秋名集落では国の重要無形民俗文化財である「ショチョガマ」や「平瀬マンカイ」というアラセツ(新節)行事が旧暦八月上旬丙の日に、今も行われています。これは今年の豊作を感謝し、天災地変や疫病の流行がないように、また来年は今年以上に五穀豊穣で平和に暮らるようにと祈るお祭りです。
 ところで「米」は私たちが生きるためにとても大切な食べ物ですね。今、私たちは毎日ご飯、昼ご飯、夜ご飯と、三食食べるのが当たり前になっていますが、実は毎日米を食べられると言うことは、とても幸せなことなんですよ。その「米」にまつわるお話は日本全国に「民話」として語り継がれています。ここ秋名集落にも「スズメとアカゲラ」のお話として語り継がれているのです。

 でははじまりはじまり。

昔々の大昔、スズメとアカゲラは姉妹でありました。二人とも結婚して隣の村で暮らしておりました。
姉のスズメは働き者で、朝から晩まで一生懸命紬の糸を紡いでは機を織っていました。
一方、妹のアカゲラはおしゃれで、いつも遊んでばかりいました。しかもたまに、機を織っては自分の着物ばかりを作っていました。
 ある日のこと、お母さんがとても重い病気になって、今にも死にそうだという知らせがありました。姉のスズメは、いつものように紬の糸を紡いでいましたが、急を聞き、紡いでいた紬の糸をそのまま首にかけ、取るものも取りあえず、大あわてでお母さんのところへかけつけました。それで、お母さんと最後のお別れをするのに間に合いました。
 さて、妹のアカゲラは遊んでばかりいましたので、お母さんが重い病気になって、今にも死にそうだという知らせを聞いたのも夜になってからでした。(ふーん、そうなの。でもまあ、まだ死んだわけではないから大丈夫ね。それよりも、きっと近所の鳥たちもお見舞いに来ているはずだから、私の綺麗なところを見せなくちゃ。) アカゲラは、おしろいをつけたり、べにをつけたりと、いつもより丁寧にお化粧をして、自分で織った一番上等の着物を着てから出かけました。 でも、気の毒に、お母さんは娘のアカゲラが来るのを待ちきれずに死んでしまいました。
 このことを知った神様は、姉のスズメには「お前は感心な親孝行者だ。だから、これからは高倉で米を食べて暮らすがよい。」と言い、妹のアカゲラには「親の死に目にも会わない親不孝者だから天罰として木の虫を探し、一つは天の神様に捧げ、一つは地の神様に捧げ、お前は最後に残ったものを食べるように。」と言いました。
 だから、ほら、スズメには白い点々の模様がついていますね。あれは、紡いでいた糸を首にかけていた証拠なんだって。 それに、スズメは今でも自由にどこへでも飛んでいき、おいしいお米まで食べられるのに、アカゲラは山の中にいて、腐った木を穴が空くまで突っつかなければ虫を食べることができないでしょ。

 皆さんは、奄美大島にしかいない、絶滅危惧種になっているオーストンアカゲラの声を聞いたことがありますか。 秋名小学校にも、たまに来ていますよ。 夜になるとくちばしが痛いと言って、大きな声でないているんだって。

 以上が園田先生の「スズメとアカゲラ」のお話でした。 今日雌のアカゲラの写真を撮りましたので添付しておきます。
スズメとアカゲラの姉妹
スズメとアカゲラの姉妹


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Posted by yamachan at 02:38 │民話